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    と、腰をたゝいてみせた。そこにはまだ一足、紙衣の下からはみ出すやうに、ぶら下つていた。

    「ジョン、降りろ」

    座敷へ案内されて、まず自分の居どころが決まると、携帯の荷物をかたづけて、型のごとくに入浴する。そこで一息ついた後、宿の女中にむかって両隣の客はどんな人々であるかを訊きく。病人であるか、女づれであるか、子供がいるかを詮議した上で、両隣へ一応の挨拶にゆく。

    「あれは何でせう、知吉さんといふ人は悪く云ふと娘をひつかけて相沢の家に入りこんだやうなもんでせう」

    思はず口に出かゝつたが、慌ててのみこんだ。彼の頭には今やすべてが明かになつた。土工仲間の刃傷沙汰だつた。その息づまるやうな情景が頭に閃ひらめいた。

    さうかと思ふと、朝早くから農婦たちが背中に子供を負ぶつてやつて来る。それが唯一の目的のときには恐しく早朝に出かけて来るのであつた。さういふ場合にかぎつて、房一は彼女等の背中に、熱ばんだ小さな顔を上向きにして喘あへぐやうな呼吸をしている幼児を見、その手遅れであることを認めるのであつた。

    本堂と庫裡とをつなぐ板敷の間で、ずば抜けて背のひよろ長い、顔も劣らずに馬面うまづらの、真白な反そつ歯ぱのすぐ目につく男が突立つていた。

    「ホリョ?」

    「や、先日はどうも――」

    「えゝ、さうですとも、あれは傑えら物ものですよ。あの師団長は第一答礼の仕方からしてちがひまさあ。かういふ風にね、ゆつくりかう腕を上げてね(と、彼は身振りをして見せる)。めつたに口を利きませんでしたよ。口を利かなくても答礼の仕方がものを云ふんですよ。やあ御苦労だつた、なんて中隊長みたいな軽いことは云ひませんよ。睨まれやうものなら恐いの何んのつて、いやほんとに身体がぶるつと顫ふるへましたよ」

    「小倉組といふと、下の工事場の方ですな」

    酔つぱらふと家にぢつとしていられない性分だ。ひる間だらうと、夜ふけ近からうと、ふらりと表に出かける。たまに、子供が、

    それはまさに、多くの矛盾、手前勝手を含んでいたにかかはらず、たつた一つの調子は常に変ることなく、何となく相手の耳に沁みこむ響を持つていた。それは、両親に絶えず圧迫され、理想化され、重荷を負はされて来た弱い子供の魂だつた。事実、彼は子供の頃から機械だの細工物だのいふ方面に特色のある才能を現していた。さういふ物をほしがつた。写真機、蓄音機、機関車の模型、それらをせがみ、片つぱしからこはし、次々と倦きて行つた。その倦きつぽさが正文を不安がらせた。殊に、そんな高価な玩具だの遊び道具は正文にとつて一種の贅沢物だつた。或る時、正文は思ひ切つて、それらの物を練吉から取上げた。造る物を見つけるとこはしてしまつた。抑圧した方がいゝと考へたものか、又欲しがる通りに与へて果していゝ結果になつたかどうかわからないが、いづれにしてもこの事は深く練吉の子供心を悲しませた。

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